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私のレポート
野澤太三

  

参風140号の表紙 参風140号

◆参風は、社団法人参議院協会の機関誌です。その第140号(2012年9月3日発行)の会員登壇(その83)に野澤太三会長のインタビューが載りました。

◇生い立ち:昭和8年に長野県伊那郡辰野町の豪農の3男として生まれ、牛と屋内同居で養蚕・養鶏をやりながら育った。運動好きでいつも野山を歩き回っていた。中学2年の時に罹った重い病気で好きだったバスケットボールができなくなり、それが転機となって図書に親しむようなり、伊那北高校から東京大学の教養部に進学した。

◇大学時代:東大の駒場寮に入り歴史研究会という伝統ある、どちらかというと左よりの仲間と議論することで社会的な目が開け、理学部より工学部を選ぶようになった。また、この時の議論が国鉄に入ってからも労働組合と論戦するときも決して負けないだけの勉強となった。

◇国鉄時代:昭和31年に国鉄に入社し鉄道学園で自分の専門ではない分野まで全部経験できた。整備新幹線に取り組み、国鉄の施設局長を歴任する中、国鉄を分割民営化が避けて通れない状況になった。日本国有鉄道法という全国一本の法律を分割のための八つの法案づくりのため鉄道と法律に明るい者を国会に送る必要が生じ「おまえ行って頑張れ」ということになった。

◇政界にて:参議院議員を3期18年務めました。まず取り組んだのは国鉄改革で38兆円の累積債務の処理でこれが国会としての最大の課題だった。もう一つは60万人いた職員の将来の年金問題でこれは橋本龍太郎運輸大臣から戴いた知恵で乗り切れた。今後の将来の工事について新幹線は国民的なインフラだから公共事業でやる方針をたて、つくるJRは資金を出さず運用で利益が出たらその範囲内の使用料を戴くという「上下分離」という仕組みを平成8年に作った。

◆引き続き下記話題についてのインタビューを掲載しました。本文をお読みください
 ①大深度地下の公共利用に関する特別措置法の制定
 ②法務大臣の仕事
 ③保護司の仕事
 ④日韓トンネル計画
 ⑤日中科学技術文化センター
 ⑥健康の秘訣

本文:野沢太三(2012):会員登壇,参風 第140号 ,PP.73-115.2012.9.


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